スマホの電話帳は機種を変えると件数が減る
77歳になった今、ふと昔の電話帳を見返すことがあります。
若い頃は名前でぎっしり埋まっていたそのページも、今では連絡を取らなくなった人ばかりです。
「今度また会おう」
「退職したらゆっくり飲もう」
そう言い合っていた友人たちも、いつの間にか人生の別々の道へ進み、気づけば静かな距離が生まれていました。
若い頃は、友達とは一生続くものだと思っていました。
学生時代の仲間、会社の同僚、趣味の友。
苦しい時代を支え合い、笑い合い、老後まで変わらず付き合っていけると信じていたのです。
しかし77歳になった今、はっきり分かったことがあります。
人は年齢を重ねるほど、静かに離れていく。
それは喧嘩や裏切りだけではありません。
人生そのものが変わっていくからです。
ある友人は、「ここが死に場所だ・・・」と言い残し、遠くへ引っ越していきました。
故郷へ戻った人もいれば、子どもの近くへ移り住んだ人もいます。
若い頃は、引っ越しといえば転勤や夢のためでした。
しかし高齢になると、「どこで人生を終えるか」という現実的な選択に変わります。
最後は静かな土地で暮らしたい。
病院が近い場所がいい。
子どもに迷惑をかけたくない。
そんな思いを抱えながら、人は少しずつ遠くへ行ってしまうのです。
また、幸せすぎて近寄りがたくなる友もいました。
立派な家に住み、子どもや孫に囲まれ、旅行を楽しみ、何不自由ない暮らしを送っている。
こちらは年金暮らしで節約の日々。
比べるつもりはなくても、「自分なんかが連絡していいのだろうか」と、どこか気後れしてしまうのです。
逆に、再会によって悲しさを感じることもありました。
6年ぶりに会った途端に、「お金貸してくれないか」と言われ、そのままこちらから離れた友もいます。
久しぶりの再会でした。
昔話に花を咲かせ、青春時代の笑い話をして、「また会おう」と言い合えると思っていたのです。
けれど、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが崩れました。
もちろん、人には事情があります。
病気、借金、家族問題、生活苦。
高齢になるほど、生きること自体が苦しくなる人も少なくありません。
だから責める気持ちはありません。
ただ、昔の友情だけでは越えられない現実があることを知ったのです。
また、歳を重ねると、人の本質が見えてくることもあります。
いつも大きな事を言い、人に期待を与えても、実際には殆ど嘘に終わる。
「近いうちに大きな仕事が入る」
「今度こそ成功する」
「金持ちになれる」
若い頃は、そんな話に夢を感じたものです。
「すごいな」「頑張っているな」と応援したくもなりました。
けれど何十年も経つうちに、その話の多くが実現しないことに気づいていきます。
周囲の友人たちは、
「あいつはホラ吹きだから相手にしない方がいいよ」
と、半ば笑いながら距離を置くようになっていました。
本人に悪気はないのかもしれません。
理想を語ることで、自分を奮い立たせていたのでしょう。
しかし、長い年月の中で積み重なった“言葉と現実の差”は、少しずつ人を遠ざけていくのです。
高齢になると、人は華やかな言葉よりも、静かな誠実さを求めるようになります。
「元気か」
「無理するな」
「また会おう」
そんな短い言葉のほうが、心に深く沁みるのです。
そして何より寂しいのは、知らぬ間に逝ってしまった友の存在です。
年賀状が来なくなる。
電話も繋がらない。
気になって誰かに聞くと、「去年亡くなったよ」と静かに告げられる。
ああ、またLINEの相手がまた一人減ってしまった。
その瞬間、胸にぽっかり穴が空きます。
最後に会ったのはいつだったか。
もっと電話しておけばよかった。
もう一度くらい顔を見たかった。
そんな後悔だけが残ります。
どんなに親しくあった友も、いずれは別れがやってくる。
77歳になった今、その現実を痛いほど感じています。
若い頃、「別れ」は特別な出来事でした。
転勤、結婚、引っ越し。
しかし高齢になると、別れは日常の中へ静かに入り込んできます。
病気で外に出られなくなる人。
施設へ入る人。
認知症で連絡が取れなくなる人。
そして人生を終える人。
誰も悪くありません。
ただ、時間だけが平等に流れていくのです。
年を取ると、人と会う機会は薄くなり、外出さえ億劫になります。
若い頃は何時間でも歩けたのに、今では少し出かけるだけで疲れる。
電車に乗るのも面倒になる。
暑い日、寒い日には「今日はやめておこう」と思ってしまう。
すると、ますます人と会わなくなる。
電話も減る。
誘いも減る。
静かな毎日だけが続いていく。
けれど最近、私はこう思うようになりました。
友達が減ることは、不幸ではないのかもしれない、と。
人生の後半になると、人は「数」ではなく「深さ」を求めるようになります。
毎日連絡を取らなくてもいい。
頻繁に会わなくてもいい。
それでも、「元気にしているかな」と思い出せる相手が一人でもいるなら、それは十分幸せなのではないでしょうか。
77歳になると、人との別れを避けることはできません。
しかし、その別れがあったからこそ、共に過ごした時間の尊さにも気づけます。
仕事帰りに飲み明かした夜。
くだらない話で笑い転げた日々。
家族の悩みを語り合った時間。
それらは決して消えません。
人は去っても、思い出は残ります。
そして今、私はこう考えています。
「友達が消えた」のではなく、
「それぞれが人生の役目を終え、別々の道へ進んだ」のだと。
だからこそ、まだ繋がっている縁を大切にしたい。
たまには自分から電話してみる。
短い手紙を書いてみる。
「元気ですか」の一言を送ってみる。
高齢になると、新しい出会いは少なくなります。
だからこそ、残された縁は宝物です。
そしてもし今、孤独を感じている人がいるなら、どうか知ってほしいのです。
あなただけではありません。
77歳になると、多くの人が同じ寂しさを抱えています。
友達が減っていく現実に、静かに心を痛めています。
でも、人とのつながりは完全には消えません。
近所で交わす「こんにちは」でもいい。
店員さんとの何気ない会話でもいい。
家族からの一本の電話でもいい。
小さなぬくもりを感じられる限り、人はまだ孤独ではないのです。
人生の夕暮れは、確かに寂しい。
けれどその中には、若い頃には見えなかった優しさや温もりもあります。
77歳の今、私はそう信じながら、今日も静かな一日を生きています。


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