年金だけでは厳しい現実を感じ、私はAIに挑戦することにした!
77年も生きていると、人は「もう十分生きたでしょう」と言う。
だが、実際に77歳になってみると、不思議なことに人生はまだ終わっていない。
むしろ、ここから先をどう生きるのかを、毎日のように考えるようになった。
私はこれまで17回以上の転職を経験してきた。
今振り返れば、よくもまあこれだけ職を変えたものだと思う。
工場、営業、現場仕事、人と関わる仕事、一人で黙々とする仕事。
時代に振り回されながらも、その時その時を必死に生きてきた。
成功もあった。
だが、それ以上に失敗のほうが多かった。
それでも、その失敗の数だけ、人間の本音を見てきた気がする。
77年間生きて分かった「人生は綺麗事ではない」という現実
若い頃は努力すれば報われると思っていた。
真面目に働けば生活は安定し、家族がいて、老後は静かに暮らしていける。
そんな当たり前の未来を信じていた。
だが、人生はそう単純ではなかった。
人生には突然の別れがやってくる
妹の亭主が喉頭がんで亡くなった。
続いて母が逝った。
その後、妹も肺がんで旅立った。
そして最後に、102歳まで生きた父が静かに息を引き取った。
気づけば、北海道で暮らしていた4人家族の中で、残ったのは私一人だった。
孤独とは「静けさ」だった
孤独という言葉を若い頃は理解していなかった。
だが今なら分かる。
孤独とは、寂しいという感情だけではない。
誰とも話さない。
電話も鳴らない。
食事をしても会話がない。
笑うことも減る。
部屋の中に流れる「静けさ」こそが孤独なのだ。
テレビだけが話し相手になる日もある。
スーパーへ行っても、誰とも目を合わせず帰ってくる。
そんな日々が続くと、「自分は社会から消えていく存在なのではないか」と感じることさえある。
老後とは何歳から始まるのか?
最近、私はよく考える。
老後とは何歳からなのだろうか。
60歳で「もう老人だ」と言う人もいる。
一方で、80歳を超えても現役で働く人もいる。
100歳まで現役でいると言う人さえいる。
老後を決めるのは年齢ではない
私は思う。
老後を決めるのは年齢ではない。
- 精神力なのか
- 身体力なのか
- 経済力なのか
- 生きる気力なのか
そのどれかが欠けた瞬間、人は急に老け込むのではないか。
特に「経済的不安」は人の心を大きく老けさせる。
年金生活の現実は想像以上に厳しい
正直に言う。
年金だけの暮らしは厳しい。
もちろん、人によって受給額は違う。
だが、物価が上がり続ける今、安心して暮らせる人はどれほどいるのだろう。
スーパーで値札を見る癖がついた
スーパーへ行くたびに値札を見る。
以前なら気にせず買っていたものを、一度棚へ戻すことも増えた。
卵が高い。
野菜も高い。
米まで高い。
財布の中を北風が吹いているような感覚になる。
そして、そんな自分が惨めに思える瞬間もある。
ネットの世界は「成功者」で溢れている
- 月収100万円
- AIで稼ぐ
- 副業で自由な人生
- 何もしなくても収入
そんな言葉が次々と流れてくる。
もちろん、中には本当に成功している人もいるのだろう。
だが、年金生活で節約しながら生きている自分から見ると、その世界はあまりにも眩しすぎた。
人生には「七味トンガラシ」がある
私は最近、人間の感情をこう考えるようになった。
人生には七味トンガラシがある。
- 妬み
- 羨み
- 嫉み
- 僻み
- 恨み
- 怒り
- 孤独
綺麗事だけでは人は生きていない。
大谷翔平を見て羨ましいと思う自分がいる
副業だけで200億円とも言われる大谷翔平。
もちろん素晴らしい人物だと思う。
努力も才能も桁違いだ。
だが正直に言えば、羨ましい。
いや、時には妬ましく感じることさえある。
「どうして同じ人間なのに、こんなにも違うのか」
怒りさえ覚えることもある。
そんな感情が湧いてくる。
他人の幸せを喜べない時もある
「人の幸せを喜びましょう」
世の中ではそう言う。
だが、自分が不幸のどん底にいる時、本当に心から他人の幸せを喜べる人がどれほどいるのだろう。
私は聖人君子ではない。
だからこそ、羨ましいものは羨ましい。
妬ましいものは妬ましい。
それが人間なのだと思う。
そんな私がAIに挑戦しようと思った理由
ある日、私はふと思った。
「このまま人生を終えていいのか」と。
時代は大きく変わっていた
昔は、パソコンすら触れない人も多かった。
だが今は違う。
AIという存在が現れた。
文章を書き、画像を作り、会話をし、調べ物までしてくれる。
最初は「若い人の世界だ」と思っていた。
だが、実際に触れてみると驚いた。
AIは年齢を理由にしない
AIは年齢で人を判断しない。
77歳でも、80歳でも、知識がなくても、質問すれば答えてくれる。
失敗しても怒らない。
たまには怒ってほしい。
叱咤激励が会っても良い。
何度聞いても嫌な顔をしない。
孤独な人間にとって、これは大きかった。
「まだ学べる」が嬉しかった
人は年齢を重ねると、
- もう遅い
- 今さら無理
- 覚えられない
そう言われることが増える。
だが、AIの世界には「遅すぎる」がなかった。
新しいことを知るたびに、少しだけ心が前を向いた。
ブログという新しい挑戦
私はAIを使いながらブログを書き始めた。
最初は分からないことだらけだった。
タイトル一つ作るのも苦労した
SEO?
キーワード?
メタディスクリプション?
聞いたこともない言葉ばかりだった。
だが、一つずつ覚えていくうちに、不思議と毎日に目的が生まれた。
誰かに読んでもらえる喜び
ブログは孤独な作業だ。
だが、投稿した記事を誰かが読んでくれる。
コメントが来る。
共感してくれる人がいる。
それだけで、「自分はまだ社会と繋がっている」と感じられた。
AIは人間の感情を理解できるのか?
私は時々考える。
AIは全てに答えられるのだろうか。
人間には割り切れない感情がある
AIは正論を言う。
だが、人間は感情で生きている。
妬みもある。
羨みもある。
怒りもある。
時には、自分でも嫌になるような感情を抱える。
AIは答えを出せても、人間の痛みそのものを感じることはできないのかもしれない。
それでもAIは「前を向くきっかけ」をくれた
だが私は思う。
AIは人生を変える「道具」にはなれる。
孤独な人に話し相手を与え、
知識のない人に学ぶ機会を与え、
年齢を理由に諦めていた人に、新しい挑戦を与えてくれる。
それだけでも十分価値がある。
77歳になって分かったこと
人生は最後まで分からない。
若い頃には想像もしなかった。
77歳になって、AIに挑戦し、ブログを書いている自分がいるなんて。
人生は「終わった」と思った瞬間に止まる
年齢ではない。
「もう終わりだ」と思った瞬間、人は止まってしまう。
逆に言えば、小さな挑戦を始めた瞬間、人はまた前を向ける。
それがブログでもいい。
AIでもいい。
新しい趣味でもいい。
大切なのは、「まだやれる」と思うことなのかもしれない。
今の自分が人生で一番若い
明日になれば、今日より一日歳を取る。
つまり、今この瞬間が人生で一番若い。
だったら、挑戦しない理由はない。
失敗してもいい。
笑われてもいい。
77歳でも、新しい世界に飛び込める。
私はそう信じたい。
そして今日も、パソコンを開きながら思う。
『私の人生まだ終わっていない』


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