起業なんて簡単、難しいのは継続すること
起業を考えている方、自営業で壁にぶつかっている方に向けて書く。
「諦めた時点が失敗。食らいついている限り失敗という言葉は生まれない」
——これが3回の起業を経験した77歳の結論だ。
スナック経営・印刷デザイン会社・Web会社。さらに自営業としてトラック傭車も経験した。順風満帆だった時期もある。離婚・マルチ商法の被害・どん底の時期もあった。それでも起業し続けた。
失敗する起業と生き残る起業の違いは、才能でも資金でもなかった。
最初の起業——黄金町ガード下のスナック経営
バーテンダーから店を持つまで
横浜でのスタートはバーテンダーだった。
妻も小さなクラブで働いており、そのオーナーが権利を持つ洋食屋が閉店するという話が舞い込んだ。
居抜きで借り受けられる。売上を折半することでオーナーが設備を負担してくれるという条件だった。
資金はほとんどかからず開店できた。場所は黄金町駅のすぐ近く、ガード下だ。電車が通るたびにかなり響く店だった。昭和の横浜らしい、猥雑な空気が漂う場所だった。
ジュークボックスとヤキモチの日々
アルバイト従業員を一人雇い、妻のママと3人で営業した。売上は1日3〜5万円程度。
決して高くはなかったが、暇なときはアルバイトとジュークボックスに合わせてステップダンスを踊ったりしていた。
客層はフリーのお客さんとママの常連が中心だった。ママがお客と親しくしていると、夫としてヤキモチを焼くこともあった。
そして最も辛かったのは、夫婦であることを隠して接客しなければならないこと(若さゆえ)だった。
経営者でありながら夫婦であることを隠す
——これは想像以上に精神的な負担だった。
2年で潮時と判断——諦めではなく撤退
スナックは2年ほど続いた。その後、ガード下が撤去されるという噂が広まった。
潮時だと判断した。
昼夜逆転の生活にも見切りをつけ、普通の仕事に戻る時期だと思った。
スナック経営は失敗ではなかった。黒字で撤退した。時代の変化を読んだといえば聞こえがいいが、ガード下の撤去と言う背景があったので先に自ら動いた。
——これが最初の起業で「先を見て動け」というの教訓になった。
順風満帆だったトラック傭車——そして転落
大卒以上の収入を得た自営業時代
スナックを閉めた後、ピアノ運送を経て2トントラックを購入し傭車になった。森永乳業の配送を請け負い、その後も運送会社で傭車として自営業を続けた。
この時期は順風満帆だった。大卒以上の収入を得ていた。トラックと乗用車の2台を持っていた。お金を貯めていつか商売をしようという気持ちが膨らんでいた時期だ。
離婚・マルチ商法——二重の転落
しかしある朝、妻が離婚届を持ってきた。前の記事でも書いたが、何も言わず判を押した。泣きながら眠った。
その後、マルチ商法に引っかかった。知り合いに紹介された女性に引き込まれ、150万円を借金した。
正直、なんとなく信じられないビジネスだとわかっていた。しかし妻に捨てられ自暴自棄になっていた。
どうでもよかった。誰かと繋がっていたいという孤独と寂しさが判断力を狂わせた。
住居を引き払い、実家に戻った。順風満帆だった自営業時代から一転、すべてを失った。
マルチ商法が狙う心理
今マルチ商法に関わろうとしている方に一つだけ伝えたい。
マルチ商法は孤独な人間を狙う。失恋した直後、離婚した直後、仕事を失った直後
——心が弱っているときに「繋がり」を餌にして近づいてくる。商品やビジネスの中身より先に「人間関係」を作ることで判断力を奪う。
私のように自暴自棄になっているときは特に危ない。「どうでもいい」という気持ちが最も高い買い物をさせる。
2回目の起業——Mac黎明期の印刷デザイン会社
通信会社でのヘッドハンティングが転機
実家でただ時間が過ぎていくうちに、徐々に気持ちが薄らいでいった。立ち直りのきっかけは特になかった。ただ時間の経過だけが心の傷を癒した。
やがて通信系メーカーにヘッドハンティングされOA機器の営業を始めた。この時期に富士通の下請け会社で69ヶ月続く仕事を経験し、Macintoshと出会い、印刷デザインで起業する決意をした。
情熱はあったが収支が合わなかった
1991年、42歳で印刷デザイン会社を起業した。Photoshop1.0・Illustrator1.0を発売直後に購入し、ソフトだけで200万円以上を投資した。
出版会社の仕事も取れた。本の裏に会社名が載った。
しかし収支が合わなかった。単価が安く発注量が少ない——個人起業の典型的な壁にぶつかった。
生活費が出ない月もあった。それでも諦めなかった。OA機器とNCC営業に軸足を移しながら続けた。
諦めなかったから次の起業につながった
印刷デザイン会社を完全に畳んだわけではない。
軸足を移しながら続けた。その経験がNCC営業での起業につながり、さらにWeb会社の起業につながった。
新電電 / 新規参入通信事業者 (New Common Carrier)
1985年の通信自由化以降に登場した、NTT以外の新しい通信事業者(通信会社)の総称です。
もしあのとき「収支が合わない、もう終わり」と諦めていたら、その後の起業はなかった。食らいついていたから次が見えた。
3回目の起業——Web会社とASP開発の挑戦
インターネット黎明期を現場で体験
1997年、48歳でWeb制作・営業会社を立ち上げた。Windows95が出てインターネットが一般に普及し始めた頃だ。
それまでMacでしかネットにアクセスできなかった時代から、一気に時代が動いた瞬間を現場で体験していた。
NCC営業・ダイヤルQ2・携帯電話代理店
——通信業界を渡り歩いてきた経験がすべてここに集約された。
5000万円を失っても「方向性は間違っていなかった」
その後ASP開発で不動産プラットフォームを作ろうとして5000万円を失った。
会社を解散させた。これは別の記事で詳しく書いたが、今のSUUMOやHOME’Sと同じビジネスモデルを20年前に構想していた。
資金が足りなかった。プログラマーの選択を間違えた。しかし方向性は間違っていなかった。それだけは今でも思っている。
諦めたのは資金が尽きたからだ。自分の意志で諦めたわけではない。その違いは大きい。
3回の起業から導いた結論
失敗する起業・生き残る起業の違い
3回の起業を経て、失敗する起業と生き残る起業の違いがわかった。
才能の差ではない。資金の多寡でもない。運の良し悪しでもない。
諦めるか、食らいつくか——それだけだ。
スナックは黒字で撤退した。
諦めたのではなく時代を読んで動いた。
トラック傭車は離婚とマルチ商法で転落したが、時間をかけて立ち直った。
印刷デザイン会社は収支が合わなかったが軸足を移しながら続けた。Web会社は資金が尽きて解散したが方向性は正しかった。
どの起業も、自分の意志で「もう終わり」と諦めた瞬間はなかった。
外部の事情で終わったものはあった。しかし自ら諦めた起業はない。
諦めた時点が失敗
「諦めた時点が失敗。食らいついている限り失敗という言葉は生まれない」
これが77年間の結論だ。
うまくいかない時期は必ずある。収支が合わない月がある。
ライバルに負ける日がある。
資金が底をつきそうになることがある。
しかしそこで諦めるか食らいつくかで、その後の人生が変わる。
スナックを2年で閉めたのも諦めではない。
潮時を見極めた撤退だ。
諦めと撤退は違う。
感情で投げ出すのが諦め。
冷静に判断して次の手を打つのが撤退だ。
マルチ商法だけは別の話
一点だけ補足する。
マルチ商法に引っかかったのは諦めではなく判断ミスだ。自暴自棄になっていたときの判断は信用できない。
心が弱っているときに大きな決断をしてはいけない。これだけは3回の起業とは別の教訓として伝えたい。
孤独なときほど、誰かに相談すること。
「繋がり」を売りにして近づいてくる人間を警戒すること。これは起業以前の、人生の基本だ。
これから起業する方へ
取り組んだら離すな
3回の起業経験から、これから起業しようとしている方に伝えたいことがある。
取り組んだら離すな。諦めるな。必ず道は開ける。
これだけだ。
起業の方法論はいくらでも本に書いてある。
資金調達の方法も、マーケティングの手法も、SNSの使い方も。
しかしどんな手法も、諦めた瞬間に意味を失う。
道が開けるまで食らいつく
スナックを閉めた後、トラック傭車で大卒以上の収入を得た。
離婚とマルチ商法で転落した後、通信会社でヘッドハンティングされた。
印刷デザインで収支が合わなかった後、NCC営業で東京エレクトロンを顧客にした。5000万円を失った後、友人の30万円でAmazon転売を始めた。
どん底の後に必ず次があった。しかしそれは諦めなかったから見えた景色だ。諦めていたら、次は永遠に来なかった。
77歳の今も食らいついている
77歳の今、AdSense審査中のブログを書いている。収益はまだゼロだ。しかし諦めていない。
毎日記事を書く。毎日読者のことを考える。毎日「今が一番若い」と自分に言い聞かせる。
取り組んだら離すな。諦めるな。必ず道は開ける。
これは若い起業家だけへのメッセージではない。77歳の自分自身への言葉でもある。
締めくくり
3回の起業を振り返って、失敗する起業と生き残る起業の違いはシンプルだった。
諦めるか、食らいつくか。それだけだ。
才能がなくていい。
資金が少なくていい。
運が悪くていい。
諦めなければ失敗という言葉は生まれない。
取り組んだら離すな。
諦めるな。
必ず道は開ける。
77歳の叩き上げからの、これが最後のメッセージだ。


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