起業を考えている方、個人でデザイン・クリエイティブ系の仕事をしたい方に向けて書く。
1982年頃、OA機器の営業で訪問したある設計士の事務所に、見たことのない機械があった。9インチの小さな画面が青白い光を放ちながら静かに動いている。マウスが付いていた。当時の日本はNECのPC-9801が主流だった時代だ。それなのにこの機械は、まるで別の世界から来たような佇まいをしていた。
それがMacintoshとの出会いだった。
1991年、42歳で印刷デザイン会社を起業した。Photoshop1.0・Illustrator1.0を発売直後に購入し、ソフトだけで200万円以上を投資した。3日間徹夜して納品後に倒れたこともある。本の裏に会社名が掲載された出版物もある。しかし収支は合わなかった。
これは個人起業の現実と、それでもデザインという仕事に魅了され続けた話だ。
Macintoshとの出会い——青白い光が42歳の人生を動かした
NEC全盛時代に異彩を放っていた9インチの画面
1982年頃、OA機器の営業で設計士の事務所を訪問したとき、見たことのない機械があった。9インチの小さな画面が青白い光を放ちながら静かに動いている。マウスが付いていた。
当時の日本はNECのPC-9801が主流だった。ほとんどのコンピュータはキーボードだけで操作するものだった。それなのにこの機械にはマウスがある。画面上でアイコンをクリックして操作する——まるで別の世界から来たような佇まいだった。
日本語が化けるMacを英語マニュアルで使いこなした
すぐに調べ始めた。当時Macを販売しているところは少なかった。日本語表示するにはキヤノンが独自にパッチを当てて日本語化したものを売っていたが、それでもバグが出て文字が化けることがあった。フロッピーベースの時代だ。
それでも欲しかった。誰かに勧められたわけでも、仕事で必要だったわけでもない。純粋に個人として欲しかったのだ。やがて20MBのハードディスク搭載モデルが出るという情報を聞きつけ、予約した。
手に入れたMacのマニュアルはソフトも含めてすべて英語だった。MacPaintというお絵かきソフトで遊びながら単語帳を片手にところどころ解読した。マウスの練習もMacPaintでやった。ワンボタンのマウスを動かし、画面上に絵を描く——1日もかからずマスターできた。それだけMacのUIが直感的だったということだ。他のソフトは難解だったが、直感的な操作感のおかげで何とか使いこなすことができた。
1991年、42歳で印刷デザイン会社を起業
Photoshop1.0・Illustrator1.0を発売直後に購入
MacⅡが登場し、AdobeのDTPツールが使えるようになった頃、印刷デザインで起業することを決めた。
ソフトへの投資は惜しまなかった。PhotoshopとIllustratorはバージョン1.0を発売直後に購入した。今では世界標準のソフトウェアだが、当時はまだ誰も使っていなかった時代だ。さらにDTPソフトのQuarkXPressやPageMaker、3Dソフトなど、ソフトだけで200万円以上を投資した。印刷機はキヤノンの製品で200万円以上——機材とソフトだけで400万円を超える投資だった。
Macにはスーパーペイントというドローとペイントを切り替えて使えるソフトもあった。事務用で使うものなら名刺・チラシ・パンフレット・ポスター・冊子——ほとんど何でも作った。
出版会社の社員にDTPソフトを教え本の裏に会社名が載った
印刷会社や出版社にも営業をかけた。出版会社の社員にDTPソフトの使い方を教え、その代わりに編集校正をDTPでやるという取引もした。
ある出版物の裏には私の会社名が掲載されている。今でも手元にある。42歳で起業した男が残した、小さな証だ。
3日間徹夜——納品後に倒れた夜
忘れられないエピソードがある。出版会社から急ぎで仕事を頼まれた。当時のDTPソフトで作った成果物を印刷するにはかなりの時間がかかった。3日間徹夜して仕上げ、納品した。
事務所に戻ったとき、もう体が動かなかった。そのまま倒れて丸1日眠り続けた。それだけ必死だったし、仕事に魂を込めていた。
翌日、事務所に出てこないからと事務員さんが作業部屋に探しに来て倒れている(眠っている)私を見つけNさんを呼んだ。
どうやって、そこで眠ったのか覚えていない、あんなことは一生に一度。
何回もやったら、死ぬかも知れない。
収支が合わなかった現実——個人起業の壁
家賃・給料・リース代を払うと自分の生活費がない月
しかし現実は甘くなかった。
家賃・スタッフの給料・機材のリース代・ガソリン代・カードの支払い——すべて払うと自分の生活費が残らない月があった。食事代すら出ない。そんな月が何度もあった。
収支が合わなかった理由は二つだ。仕事の単価が安かったこと。そして発注量そのものが少なかったこと。この二重苦は個人で起業した者が最初にぶつかる典型的な壁だった。
Nさんの定食屋——40年近く続く友情の原点
そんな苦しい時期、Nさんという人物が支えてくれた。
Nさんは不思議な働き方をする人だった。事務所に来るのは午後から3時間ほど。それなのにいつも新車に乗り、車検のたびに車を入れ替えるほどのお金持ちだった。しかしお金持ちだからというわけではなく、何かにつけて助けてくれる人だった。
生活費がない月、Nさんは近くの定食屋で食事を奢ってくれた。それが何日も続いた月もあった。良き相談相手でもあった。
それ以来Nさんとの友情は現在も続いている。40年近くの付き合いだ。苦しいときに定食を奢ってくれた人との縁が、これほど長く続くとは当時は思っていなかった。
個人起業が失敗する3つの典型的な原因
この経験から導いた個人起業の失敗パターンは3つだ。
1つ目:単価設定が低すぎること 技術や時間に見合った単価を設定しないと、どれだけ働いても収支が合わない。3日間徹夜して納品する仕事の単価が低ければ、体だけが消耗する。
2つ目:発注量の少なさを見込んでいないこと 個人起業の初期は発注量が安定しない。固定費を低く抑えながら発注量が増えるまで耐えられる資金計画が必要だった。
3つ目:機材・ソフトへの過大投資 ソフトと印刷機だけで400万円以上を投資したが、それに見合う売上が追いつかなかった。最初は最低限の投資で始め、売上が増えてから設備を拡充すべきだった。
デザインという仕事の本質——お金に代えがたい喜び
自分の思い通りのデザインが完成したときの喜び
収支が合わなかった。生活費がない月もあった。3日間徹夜して倒れたこともあった。それでもデザインの仕事を続けたのには理由がある。
自分の思い通りのデザインが完成したとき——その喜びは人に説明できない。言葉にならない達成感だ。これがデザイナーやクリエイターが仕事を続ける本当の理由なのだと思う。お金に代えがたい喜びがそこにある。
Photoshop1.0を発売直後に購入し、誰も使っていないソフトを独学でマスターし、本の裏に自分の会社名が載った瞬間——あの喜びは今でも鮮明に覚えている。
軸足を移しながら続けた
印刷デザインだけで食べていくことの限界を感じながらも、MacⅡは手元にあった。経理関連の仕事をこなしながら、前職でもあるOA機器とNCC分野に力を配分していった。
撤退ではなく軸足を移したのだ。デザインへの情熱は持ちながら、収益の柱を別に作る——これが現実的な選択だった。
今のデザイナー・クリエイターへ伝えたいこと
決して甘くはないけれど
42歳でMacと出会い印刷デザイン会社を起業した経験から、今デザイナーやクリエイターを目指す若い人に伝えたいことがある。
この道は決して甘くない。単価は安く、発注は不安定で、徹夜が続くこともある。生活費が出ない月もある。それでも続けられるのは、完成したときの喜びがあるからだ。
大したものを残せたわけではない。しかしPhotoshop1.0が世に出たばかりの時代に、英語マニュアルを単語帳片手に解読しながらデザインを続けた77歳がここにいる。
時代はツールを変えても本質は変わらない
当時200万円以上したソフトウェアが、今は月数千円のサブスクリプションで使える。MacPaintで練習したマウス操作が、今はタッチパネルになった。しかし自分の思い通りのデザインが完成したときの喜びは、1991年も今も変わらない。
ツールは変わる。時代は変わる。しかしクリエイターの本質——自分の頭の中にあるイメージを形にする喜び——は永遠に変わらない。
ただ心配なのはAIだ!デザインもAIが取って代わるかも知れない。
しかし、AIに感性はないだろう・・・と思いたい。
若い人に頑張ってもらいたいと思っている。
締めくくり
あの設計士の事務所で青白い光を放っていた9インチの画面が、42歳の自分の人生を動かした。収支は合わなかった。生活費がない月もあった。それでも後悔していない。
時代の最先端を自分の手で触った経験は、その後のWeb会社、NCC営業、そして今のブログ運営まで、すべての土台になっている。
新しい技術に心が動いたとき、その直感を信じていい。
77歳の叩き上げからの、ささやかなメッセージだ。

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