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17社転職して一番後悔していること—5000万円を失い、友人の30万円で再起した話

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起業の失敗談を知りたい方、IT事業で挫折した経験がある方に向けて書く。

17社を渡り歩いた人生で、後悔していることはあるかと問われれば、正直に答える。ある。たった一つ、あのとき踏みとどまっていればと今でも思うことがある。

Web開発・ASP開発の事業だ。今のSUUMOやHOME’Sと同じビジネスモデルを20年前に構想し、韓国にまで進出した。しかし5000万円を失い、会社を解散させた。その間に家族を4人亡くした。助けを求める気力すら残らない5年間を過ごした。

そして30年来の友人の「30万貸すから何かやってみなよ」という一言が、再起の引き金になった。

これはその全記録だ。


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SUUMOの原型を20年前に作ろうとしていた

不動産業界のデジタル化を狙った事業構想

1990年代後半、私はWeb制作・営業会社を経営しながら、ASP(アクティブ・サーバー・ページ)を使った不動産プラットフォームの開発に着手した。

構想はこうだ。不動産の間取り図を業者間でデジタル共有するプラットフォームを作る。さらに専用の間取り作成ツールも開発し、誰でも簡単に間取り図が描けるようにする。

今から20年近く前の話だ。当時テレビCMで見かけるような大手不動産チェーンでさえ、まだ手書きで間取り図を書いていた時代だった。デジタルで間取り図を共有するという発想自体が先進的だった。

ホームズへの納品実績——完成していれば

実際にホームズから間取り図面の依頼を受けたこともあった。システムが完成していれば、ホームズも取り込めた可能性があった。

今のSUUMOやHOME’Sが当たり前のようにやっていることを、20年前に構想していたのだ。時代を先取りしすぎた——今振り返ればそう思う。

韓国進出——日本式賃貸を持ち込む計画

さらに韓国にも進出した。韓国の不動産市場に目をつけたのだ。

韓国には「チョンセ」という独特の賃貸システムがある。入居時に数百万円の一時金を大家に預け、大家はその金利で運営する。しかし使い込んで退去時に返却できず破綻する大家も出てくる社会問題があった。

そこへ日本式の月払い賃貸システムを持ち込み、ASPで作ったプラットフォームを広める——そういう計画を立てた。韓国に事務所を構え、韓国人社長を置き、プログラマー2人・従業員3人を雇った。


5000万円が消えるまで

優秀だが多忙すぎたプログラマー

しかし現実は甘くなかった。

開発を担当したプログラマーは優秀だった。

しかし多忙すぎた。他の仕事も請け負っていたようで、開発は予想以上に難航した。
バグが多く、デバッグ専任のプログラマーを月額70万円で別途雇わなければならなかった。それだけで年間840万円だ。

3年間で積み上がった損失

開発期間は3年近くに及んだ。
その間にかかった費用の総額は約4000万円。デバッグ要員への支払いを合わせると約5000万円が吹き飛んだ。

さらに営業していれば得られたはずの期間的損害もあった。3年間、事業として動けなかった機会損失だ。

もう2人プログラマーがいれば完成を見られたかもしれない。資金があと倍——1億円あれば結果が違ったかもしれない。しかし5000万円では足りなかった。

韓国オフィスクローズ——4000万円の借用書が今も手元にある

システムの完成が見込めないと判断した時点で、韓国オフィスをクローズした。立ち上げからわずか半年あまりだった。完成を見込んで先行投資した韓国オフィスは、無駄な投資に終わった。

日本のASP事業も断念せざるを得なかった。会社は解散させた。

4000万円の借用書は今も手元にある。しかし紙くず同然だ。完成していれば現在どうなっていたか——今でもふとそう思う瞬間がある。


底に落ちた5年間

事業失敗と家族の死が重なった

会社を解散させた後、自室で呆然とする日々が続いた。

追い打ちをかけるように、身内の不幸が続いた。妹の夫が喉頭がんで逝った。その後お母さんが逝った。半年後に妹が肺がんで逝った。足掛け2年の間に3人を見送った。

さらに3年後には父が逝った。

気づけば我が家族の中で私一人が残っていた。

お金もない。気力もない。家族もいない。助けを求める気力すら残っていなかった。ただ今日を過ごす——そんな生活が5年間続いた。

何も手につかない日々

5000万円を失ったことより、家族を次々と亡くしたことの方が重かった。

インターネットがその後爆発的に普及し、不動産プラットフォームが当たり前になっていくのをニュースで見るたびに、胸が締め付けられた。

しかしそれを悔やむ気力すらなかった。本当に死んだような5年間だった。


30年来の友人の一言

「30万貸すから、何かやってみなよ」

そんなある日、30年来の友人が訪ねてきた。

妹の葬儀にも来てくれた友人だ。私の状況をすべて知っていた。事業の失敗も、家族を亡くしたことも、何もする気になれない日々が続いていることも。

「30万貸すから、何かやってみなよ」

たったその一言だった。

嬉しかった。しかし同時に思った。

30万円で何ができるか——その時の自分には大きなお金だったが、何かを始めるには足りない気もした。

それでもその言葉が、凍りついていた心を動かした。自分のことを見捨てずにいてくれた人間が一人いた。その事実だけで十分だった。

30万円がAmazon転売につながった

その30万円で始めたのがAmazon転売だった。

近所のゴミ集積所で拾った本をAmazonに出品したところ即座に売れた。
「本って売れるんだ」——その一言から60代の副業人生が始まり、やがて今のブログ運営につながっている。

5000万円を失った男が、30万円と友人の一言から再起した。


今振り返って思うこと

結果の出なかった挑戦は無意味だったのか

今思うと、やらなきゃよかった挑戦だったかもしれない。結果が出なかった挑戦は無意味なのだろうか——正直今もその答えが出ていない。

ただ一つ言えることがある。資金が足りなかっただけで、挑戦の方向性は間違っていなかった。今のSUUMOやHOME’Sがその証明だ。あのビジネスモデルは正しかった。

ただ5000万円では足りなかった。もう2人プログラマーがいれば、あと5000万円あれば——という思いは今も消えない。

IT事業で失敗しないために伝えたいこと

この記事を読んでIT事業や開発事業を考えている方に、経験者として3つ伝えたい。

1つ目:プログラマーは専任にすること 他の仕事を掛け持ちするプログラマーに任せると開発が遅延する。専任のプログラマーを確保することが最低条件だ。

2つ目:開発費の2倍の資金を用意すること 開発は必ず予算をオーバーする。見積もりの2倍の資金がなければ、途中で断念することになる。

3つ目:完成前に先行投資しないこと 韓国オフィスの失敗がこれだ。システムが完成する前に海外展開に動いた。完成してから次のステップに進むべきだった。

人生の底で学んだこと

お金より大切なものがあるとすれば、それは自分を見捨てない人間関係だと今は思っている。5000万円を失い、家族を4人亡くし、何もする気になれない5年間を経て、友人の30万円と一言が私を動かした。

どれだけ失敗しても、そばにいてくれる人が一人いれば人間はまた立ち上がれる。
17社・3起業・5000万円の損失——それがあって今の77歳がある。


締めくくり

あなたが今、何かに失敗して立ち止まっているなら、これだけ伝えたい。

底にいるとき、手を差し伸べてくれる人を大切にすること。そしてその手を遠慮せずに掴むこと。30万円という金額より、差し伸べてくれた手の温かさが人を動かす。

私はそうやって、もう一度立ち上がった。

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