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黒電話からスマホまで現場で見た—時代の変化を誰よりも早くビジネスに変えた話

私の転職・仕事遍歴
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通信業界の激変を生き抜く:黒電話からAIまで、77歳のビジネス戦記

時代の変化をビジネスチャンスに変えたい方、副業・起業のタイミングを掴みたい方に向けて書く。

黒電話が消えると聞いたとき、私はビジネスチャンスだと思った。誰も携帯電話を持っていない時代に携帯を売った。各社が一斉に無料で端末を配り始めた瞬間を現場で目撃した。

そしてiPhoneが登場したとき、私は「あんな不格好な電話は持ちたくない」と思った。

昭和から令和まで、通信業界の激変をずっと現場で見てきた。時代の波を捉えることもあれば、乗り遅れることもあった。その全記録を残しておきたいと思う。

■黒電話廃止——時代の変化をビジネスに変えた瞬間

【日本電電公社がNTTになった日】

OA機器営業をしていた1980年代、日本電電公社がNTTに変わり、黒電話のレンタルが廃止になるというニュースが流れた。

その瞬間、私はピ~ンときた。

NTTが電話をレンタルしないなら、電話事業者である自分たちがレンタルすればいい。

私が勤務する会社は、電話交換機の保守サービスがメインの会社だ。
この保守力を付加価値としてファッション電話機をレンタルすれば、きっと受けるに違いない。

保守・アフターサービス付きで、NTTの代わりに電話機を貸し出す——そのビジネスモデルをすぐに考えた。

【スーパーニチイの催事で3日間150台販売】

各社のさまざまなデザイン電話を取り揃え、レンタル契約書とパンフレットを作った。

富士通の電話機だけでも4〜5種類あった。
この時は富士通の電話機販売部門のおえらいさんが事務所に挨拶に来たほどだ。
富士通の下請けだった我が社の社長は、きっと気持ち良かったに違いない。

留守番電話も人気だった。そして特に人気を集めたのが「ピオニ」という赤い電話機だ。

鮮やかな赤のデザインが当時としては斬新で、お客さんの目を引いた。個人的にも、おしゃれでいいなぁと思った。

スーパーニチイで催事を行うと大盛況だった。
用意した長机も折りたたみ椅子も並ぶ人が多くて不足し、店員さんたちにお手伝いをお願いし慌てて増設した。

3日間で150台前後が売れた。子供連れの家族も多く来場し、カラフルなデザイン電話に子供たちが食いついた。料金はリース契約なので月々数千円止まり——この手軽さが人気の理由だった。

黒電話廃止という「ピンチ」を、いち早く「チャンス」に変えた瞬間だった。


■誰も携帯を持っていない時代に携帯を売る

【ショルダーホンから携帯電話へ——手探りの時代】

黒電話がデザイン電話に変わり、さらに数年後、携帯電話が登場し始めた。

しかし当時はNTTのショルダーホンがある程度で、携帯電話を持ち歩く人などほとんど見かけなかった。肩にかけて使う巨大な端末を街で見かけると「あれが電話か」と驚いたものだ。

それからしばらくしてハンディホンがIDO通信から発売された。
あの重そうな本体がなくなり文字通りハンディホン、しかし今のスマートホンから見れば厚さで3~4倍、長さでも2倍以上あるし重たい。

各社もどうやって普及させるか右往左往している状態だった。誰もが手探りで、答えのない時代だった。

 

【東京デジタルフォン代理店——フリーペーパー広告からのスタート】

やがて携帯電話販売の代理店事業を始めた。
東京デジタルフォン——現在のソフトバンクの前身、日本テレコム系列だ。

最初の集客はフリーペーパーへの広告掲載だった。
当時の東京デジタルフォンの最初の端末はとにかくゴツかった。大きくて重い。

それでも「携帯電話」という新しいものへの興味を持つ人はいた。

やがてアンケート方式に切り替えてからは客層が変わった。
圧倒的に若い層が増えた。新しいものに敏感な20代が携帯電話の最初のユーザーだった。

【通話エリアの狭さという致命的な弱点】

競合はNTT・IDO+KDDI・ツーカーセルラーだ。各社が激しく競い合っていた。

代理店として最も苦労したのが通話エリアの問題だった。
東京デジタルフォンは当時4社の中で最も通話エリアが狭く、お客さんから敬遠されることが多かった。

いくら端末が良くても「繋がらない」では話にならない。営業トークでカバーしきれない弱点だった。


■無料端末配布——携帯電話普及の転換点を現場で見た

1台1万円以上のインセンティブが動いた時代

転換点はある日突然やってきた。各社が一斉に携帯電話を無料で配り始めたのだ。

仕組みはこうだ。キャリアが代理店に1台契約するごとにインセンティブを支払う。そのインセンティブを原資に端末を無料で渡す。インセンティブは上がったり下がったりしたが、1台1万円を切ることはなかった。

お客さんからすれば電話機が無料で手に入る。代理店にはインセンティブが入る。キャリアは契約者数が増える——三者にとって都合の良い仕組みだった。これが携帯電話の爆発的な普及を生んだ。今の1円スマホキャンペーンの原型がここにあった。

東京デジタルフォンは一手遅れた

しかし東京デジタルフォンはこの流れに乗るのが一手遅れた。他社が無料配布を始めてからの参入だった。通話エリアの狭さに加え、無料化でも出遅れた。代理店として苦しい時期だった。

それでもこの時代を現場で体験したことは大きな財産になった。

インセンティブビジネスの構造、キャリア間の競争、若い層への訴求方法——すべてがその後のビジネスの土台になっていった。


■iPhoneが来て、私の予測は完全に外れた

あんな不格好な電話は持ちたくない

2007年、iPhoneが登場した。

正直に言う。私は「あんな不格好な電話は持ちたくない」と思った。ボタンもない、画面が大きいだけ、日本のガラケーのiモードの方がよほど使いやすい——そう思っていた。

しかしソフトバンクの孫正義氏は違った。
いち早くiPhoneを採用し、市場を広げた。

日本のガラケー文化はiPhoneによってひっくり返された。iモードが誇っていた機能はすべてスマートフォンに飲み込まれた。

時代の波を捉えることの難しさ

黒電話廃止のときは波を捉えられた。携帯電話の無料化の波も現場で体験した。しかしiPhoneという波は読めなかった。

時代の波を捉えるというのは本当に難しい。早すぎても乗り切れない。遅ければ乗り遅れる。自分は波を捉えられると思っていたが、とんだ思い違いだったかもしれない。

その後に、訪れる米国由来のあるサービスが私の運命を変えた。


■AIの時代——波に乗るのではなく波を使う

1円スマホの罠と変わらない本質

現在でも1円スマホのキャンペーンをよく見かける。

しかし最近は1円につられてとんでもない契約をさせるキャリアも出てきた。

無料・格安の裏には必ず仕組みがある。これは携帯電話黎明期から変わっていない本質だ。

波に乗るのではなく波を使う時代へ

今はAIの波が来ている。この波は早いのか遅いのか、正直もうわからない。

しかし一つだけ言えることがある。黒電話廃止からスマートフォンまで通信業界の激変を現場で見てきて気づいたことだ。

波に乗ろうとすると、タイミングを間違えれば溺れる。
しかし波を「使う」という発想に変えると話が違ってくる。サーファーは波に乗るのではなく波を使って進む。

AIの波も同じではないだろうか。AIという波に飲み込まれるのではなく、道具として使いこなす——77歳の私がブログを書き、AIを活用しているのはまさにその実践だ。

AIは使い方しだい、AIは命令してもいやな顔はしない。
文句も言わない、話しかければ音声で答えてくれる。


締めくくり

黒電話が消えた日にビジネスチャンスを見つけ、誰も携帯を持っていない時代に携帯を売り、iPhoneを「不格好」と思って読み外した。
完璧に波を読み続けた人間などいない。大事なのは波を読もうとし続けることと、外したときに素直に認めることだと思っている。

あなたが今、新しい技術やビジネスの波を前にして迷っているなら、これだけ伝えたい。波に乗ろうとするより、波を使う方法を考えてほしい。昭和から令和まで通信業界を渡り歩いた77歳からの、ささやかなメッセージだ。

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