Mac一台で起業した話|42歳でデザイン会社を立ち上げた経緯

無謀とも言える脱サラ起業

「自分の会社を持ちたい」 これは、私がずっと抱き続けていた夢でした。

当時の事務所は、1階に「ほっかほっか弁当」、2階には友人Eの知り合いであるNさんが営む金融業(個人事業)が入っているビルでした。

3階には友人E君の事務所があり、「スペースが余っているから、同居なら家賃は半額でいいよ」という甘い誘いに乗り、間借りすることに決めたのです。

2階のNさんのビジネスモデルは、今思い出しても不思議なものでした。

オーナーと従業員の2人体制で、営業時間は12時から15時までのわずか3時間。デスクの上には黒電話が1台あるのみで、「一体いつ働いているの?」とツッコミどころ満載でしたが、このNさんとは現在も続く親友となりました。

ちなみに、このNさん
フェアレディZしか乗らない、車検毎に買い替えしモデルチェンジしたら同じ型式でも乗り換えるという、お金持ちなんですよ。


信頼できる相棒とMacへの投資

独立した際、妹の夫であるM君が一緒についてきてくれました。彼は元々、北海道で害虫駆除の仕事をしていましたが、勤め先が倒産して職を探していたのです。

ちょうど前の会社が北海道方面で販売した富士通機器のリコール対応が必要になり、作業要員を探していたため彼を紹介しました。

作業は簡単な部品交換作業で、彼にとっては渡りに船のような話だったと後に彼は言っていました。

これがきっかけで、疎遠だった妹夫婦とも交流が復活。彼は電話技術の経験を積み、北見市から横浜へと移住して私の事業を支えてくれることになったのです。

物販とデザインを主軸にするため、当時発売されたばかりの「Mac II」を導入しました。

  • Mac II 本体: 約80万円

  • 純正プリンタとMac一式: 合計約130万円

  • ソフト類: Photoshop(15.5万円)、Illustrator(12万円)、PageMaker(約16〜17万円)

機器購入費用総額 1,735,000也 これは後にバージョンUPMacⅡfxになります。
ロジックボードへの交換費用は 2,999ドル 日本円で35万円くらいしたと思います。

Adobe製品はバージョンアップのたびに約2.5万円の費用がかかり、かなりの負担だったことを覚えています。あわせて9インチの「Mac SE」も現役でフル活用していました。

今振り返れば、これほどの大金をどうやって捻出したのか記憶が定かではありません。

ただ「やる」と決めて行動すれば、何とかなるものです。準備を整えてから……と考えるのではなく、当時はとにかく無鉄砲に唯我独尊の状態で突き進んでいました。


資金繰りと自転車操業の裏側

身内であるM君がいてくれる心強さはありましたが、経営者としてのプレッシャーもありました。

特に「妹の家庭を守るため、M君の給料だけは絶対に遅配させてはならない」という決意は、私のプライドでもありました。

しかし、立ち上げ当初の収入はゼロ。 そこで考えたのが、クレジットカードを活用した運転資金の捻出です。

12枚のカードを作り、キャッシングを駆使してM君の給料(手取り25万円)や事務所の家賃、自分の生活費を工面しました。

カードのキャッシングとローンを交互に使い、今月の支払いを次のカードで補う……という、まさに「カードの自転車操業」状態。そりゃあ、大変な毎日でした。

デザイン会社から「電話工事会社」への転換

まだデザインの仕事が軌道に乗っていなかったため、私は持ち前の営業力を活かし、通信自由化で誕生した「新電電(NCC)」という新規分野に目をつけました。

前職での電話リース販売の実績や、富士通の下請けとしての信頼が後押しとなり、「第二電電(DDI)」「日本テレコム」「日本高速通信」の3社と代理店契約を結ぶことに成功。通信アダプターの設置工事も請け負うという、一石二鳥の契約をこぎ着けました。

さらに、前職の手法を取り入れ、3名のパートさんを雇ってテレフォンアポインターの仕組みを構築。「長距離電話代が安くなり、経費削減が無料でできる」というスクリプトを作成しました。

  1. アポインター: 見込み客を獲得

  2. 私: 営業に赴き、説明と工事日を決定

  3. 私とM君: アダプターの設置工事を実施

顧客にとっては「基本料金無料で通話料が安くなる」というデメリットのない提案だったため、契約は次々と決まりました。

  • 電話交換機の販売利益

  • 工事費

  • 新電電の成約インセンティブ

  • 通話料に応じた継続インセンティブ

これにより、一時的な収入だけでなく、積み上げ型の収益モデルが完成しました。

もはやデザイン会社というより「電話工事会社」の様相を呈していましたが、これでようやく社員やパートさんへの給料支払いが安定したのです。

第二電電の3社(新電電3社)とは1985年の通信自由化に伴い、NTTに対抗して長距離電話サービスに参入した以下の3社の通称です。

日本経済新聞 +1
  1. 第二電電(DDI):京セラなどが出資。後のKDDI
  2. 日本テレコム:JR系。後のソフトバンク
  3. 日本高速通信:トヨタ、道路公団系。後のKDD→KDDI
これらは主に「新電電(NCC)」と呼ばれ、特にDDIは稲盛和夫氏が創業に関わり、安価な通話サービスを提供して現在のKDDIに発展しました。
詳細と文脈
  • 背景: 1984年の電気通信事業法改正により通信市場が開放され、長距離電話料金の引き下げを目的に設立されました。
  • 特徴: 1986年から1987年にかけて専用線や市外電話サービスを開始し、東京・名古屋・大阪を結ぶインフラを整備しました。
  • その後: 2000年10月に、DDI、KDD、IDOの3社が合併し、現在のKDDIが発足しました。
  • 類語: 新電電(NCC:New Common Carrier)とも呼ばれ、これら3社に加え、地域通信事業者(東京通信ネットワークなど)もこのカテゴリーに含まれます。

攻めの失敗:フリーペーパーでの大赤字

経営が安定したところで、私は次のビジネスを仕掛けました。

横浜で普及していたフリーペーパー「ぱど」を活用した、アクセサリーの通販事業です。

自らMacを駆使して4ページの冊子をデザインし、夜なべして版下を作成しました。印刷費と折込代で約300万円という大きな勝負です。

しかし、この挑戦は無残な失敗に終わりました。

原因は、仕上がりを確認した際の「写真の小ささ」でした。小さな枠に20点もの商品を詰め込んだため、アクセサリーの装飾がほとんど見えなかったのです。

印刷会社の営業にクレームを入れ、50万円の値引きをさせましたが、あとの祭り。
注文は数件にとどまり、大赤字となりました。


Mac一台で起業した話は、新たなステージへ

大きな損失を出したものの、電話事業の基盤があったおかげで、会社の存続は何とか維持できていました。私は心機一転を図るため、事務所の移転を決意します。

この新事務所への移転が、のちに次のビジネスで「大化け」するきっかけとなるのですが……。

その話は、次回の記事で詳しくお伝えします。乞うご期待!

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