信じていた取引先からの不払い、そして未曾有の災害
300万円の広告費が一瞬で消えた実体験から学んだ「広告の本質」と教訓
携帯電話黎明期|ショルダーホンから折りたたみ携帯へ進化した時代
携帯電話が「高級品」だった時代背景
携帯電話が発売された当時。
肩から提げるショルダーホン、車のトランクから巨大なアンテナが伸びるカーテレホン。そんな時代から数年後、ようやく折りたたみ式の携帯電話が登場し始めました。
当時の携帯電話市場は、先行者利益と市場シェア獲得を狙い、
- NTT
- IDO
- 日本デジタルホン
- ツーカーセルラー
などの通信会社が、激しいシェア争いを繰り広げていました。
まさに、通信戦争とも言える時代です。
無料で携帯電話を配っても利益が出た異常な市場
現在では考えられませんが、当時は「契約数」がすべてでした。
携帯電話を販売して利益を出すというより、
「無料で配っても契約インセンティブで利益が出る」
そんな時代だったのです。
携帯電話1台契約ごとに数万円単位のインセンティブが発生するため、代理店も販売店も、とにかく契約数を増やすことに必死でした。
日本テレコム部長の言葉を信じた結果|150台普及後の「支払い不能」
3年以上取引していた部長からの提案
そんなある日。
3年以上取引していた日本テレコムの部長が、私のところへやって来ました。
その内容は、非常に魅力的なものでした。
「1台契約ごとに3万円払う」という夢のような条件
部長はこう言いました。
「インセンティブを上げて支給できるので、日本デジタルホンを普及してほしい」
さらに、
「1台契約ごとに3万円支払います」
というのです。
つまり、日本デジタルホンの携帯電話を無料で1台配れば、3万円が入るという話でした。
今では考えられないような条件です。
皆さんなら、どうしますか?
私は、二つ返事で引き受けました。
しかし、これが大きな間違いの始まりだったのです。
街頭アンケート方式で大量契約を獲得した方法
当時の人々は「携帯電話=高い」という認識だった
当時は、
- 携帯電話本体が高い
- 通話料金も高い
- 持った後が怖い
そんなイメージを持つ人が非常に多い時代でした。
そのため、完全無料というだけでは逆に怪しまれてしまいます。
アンケート回答者に無料提供する仕組みを考案
そこで私は、街頭アンケート形式で募集を行いました。
実際に行った募集内容
- 駅前でアンケートを実施
- アルバイトにアンケート用紙を持たせる
- 携帯電話が欲しいかを質問
- 契約資料と申込書を後日郵送
- 契約事務手数料1,000円のみ負担
さらに、
「1,000円を銀行口座へ振り込んでもらうことで契約意思とする」
という形にしました。
当時は今ほど個人情報保護も厳しくなく、駅前アンケートも比較的自由に行える時代でした。
発送翌日から入金FAXが止まらなかった
このキャンペーンは大反響でした。
遠くは長野の松本までアルバイト4人乗せ日産キャラバンで出張しました。
なぜ 地方・・・?
そう思いますよね、それは東京ほど公衆電話網が発達してないから需要は東京よりあるかも・・・という単純な発送でしたね!
発送翌日から、銀行からの入金通知FAXが次々と届きます。
毎日何十件もの申し込み。
百数十台規模まで一気に契約数が伸びていきました。
私は完全に成功を確信していました。
しかし待っていたのは「支払い不能」という現実
大量普及したのに「支払う原資がない」と言われる
そして、いよいよインセンティブ支払いの段階。
しかし、その時。
日本テレコムの部長から、信じられない言葉を告げられました。
「実は、支払う原資がないんです…」
頭が真っ白になりました。

そんな・・・ぁ~!
では、あの時そんな事を理解していなかったの?

申し訳ない・・・
あの時は、大丈夫だ行けると思ってたんだ(汗)
こんなのアリか、許されないだろう!
上場企業の部長の言葉を疑わなかった
こちらとしては、
- 上場企業の部長
- 3年以上の取引実績
- 明確な条件提示
これだけ揃えば、当然信用します。
しかし現実は、
- 百数十台を普及
- 大量契約獲得
- 多額の経費負担
をしたにもかかわらず、インセンティブは未払い。
残ったのは千円×台数分だけだった
結果として、
- アルバイト代 4人・1日-5,000円
- 郵送費 契約書入りの封筒代
- 印刷費 チラシ、アンケート用紙、封筒
- 各種経費 車レンタル代・食費雑費
おおよそ100万~すべて経常赤字。
最終的に残ったのは、契約事務手数料の二十数万円のみでした。
本来見込んでいた3~500万円以上の利益は、完全に海の藻屑となりました。
当時の日本テレコムはどんな会社だったのか?
東証一部上場の大手通信会社だった
日本テレコムは、当時非常に勢いのある通信会社でした。
日本テレコムの当時の立ち位置
- 1994年 東証一部上場
- 「新電電」の代表格
- NTT対抗企業として急成長
- デジタルホングループが拡大
つまり、社会的信用は非常に高かったのです。
だからこそ、私は疑いませんでした。
契約書を交わしていなかったことが最大の失敗
今振り返ると、最大の失敗は明確です。
当時の失敗ポイント
- 口約束を信用した
- 契約書を交わしていなかった
- リスクヘッジをしていなかった
この経験から、
「肩書を信用すること」と「ビジネスの契約」は別
だと痛感しました。
その後は携帯代理店ビジネスで巻き返し
代理店の代理店という形で展開
その後は、日本デジタルホンだけでなく、
- ツーカーセルラー
- IDO
- NTT
- 京セラ系電話機メーカー
などの案件も扱うようになりました。
いわゆる、
「代理店の代理店」
という形で、インセンティブを分け合うビジネスモデルで他の代理店とも手を組みました。
新聞折込広告へシフトして大成功
その後は、街頭アンケートよりも効率的な方法として、新聞折込広告へシフトしました。
これが、大ヒットしした。
これで、味をしめたのです。柳の下のどじょうは何回狙えるか?
地域をずらせば、何回でも行ける筈だ、顧客とは郵送でやり取りの手順は同じなのだから問題は、ない!
と、確信に近い自信を持っていました。
そんな自信が木っ端微塵に打ち砕かれる事態が起きようとは、夢にも思っていませんでした。
300万円の新聞折込広告が利益を生んだ時代
折込広告1回で数百万円利益が出た
当時の広告成果
- 折込費用:約300万円
- 契約数:200〜500台
- インセンティブ:1台2〜2.5万円
つまり、
一度の広告で200〜300万円以上の利益
が出ることもあったのです。
まさに「広告で稼げる時代」でした。
阪神・淡路大震災で300万円の広告が消えた日
1995年1月16日に新聞折込を発注
1995年1月16日。
狙ったエリアに向けて、300万円を投じて新聞折込広告を発注しました。
翌朝は電話が鳴り止まない。
そう確信していました。
しかし翌朝、日本中が震災一色になった
1995年1月17日 午前5時46分。
阪神・淡路大震災が発生。
テレビも新聞も、すべて震災一色でした。
当然ながら、
誰も折込チラシなど見ていない
状態でした。
自身も朝刊を見て、唖然!
自失呆然という状態で、眼の前が真っ暗になりました。
300万円の広告費が一瞬で消えた
結果として、
- 問い合わせ激減
- 広告反応ゼロ
- 広告費300万円消失
という最悪の結果になりました。
広告は、
「見られなければ存在しない」
という現実を痛感した瞬間でした。
再起をかけた広告で起きた「地下鉄サリン事件」
阪神・淡路大震災の朝。300万円の広告費が一瞬で無に帰した1月17日
それでもここで諦めるわけにはいきません。
ここで諦めたなら、経営が成り立ちません。それこそ家賃も従業員の給料も経費も出ずに会社を折りたたむしかない!
何としても再復活しなければならない。その為には、もう一度最後のチャンスを賭けて新聞折込をするしかない。
その方法しか、道は残されていない、と私は思いました。
ビジネスで、1回で百万単位の利益を出すことは、そう簡単ではありません。
現状では、それを仕掛けるしか残された道は有りませんでした。
1995年3月2回目の挑戦。
金融関係の知人に相談し、300万円を借りて再度新聞折込広告を実施しました。
「これで立て直す」
そう思っていました。
再起を賭けた借金300万円の広告と「地下鉄サリン事件」の悲劇
そして、1995年3月21日。
新聞折込を実施したその日。
新聞一面は、
「地下鉄サリン事件」
でした。
当然、世間の関心は事件一色。
折込広告どころではありません。
完全に止めを刺された感覚だった
結果として、
- 広告反応消失
- 借金だけが残る
- 経営危機へ
完全に追い込まれました。
預金は全て切り崩し、なけなしのタンス預金も全てかき集め、売れるものはすべて売り払い、家賃従業員の給料を支払い、もう何も残ってはいませんでした。
銀行不渡りは回避できたものの、借財に追われる生活が始まりました。
広告は「最初の3秒」で決まる
広告は内容より「見られるか」が重要
この経験から学んだことがあります。
それは、
広告は、まず見てもらえなければ意味がない
ということです。
反応が良かったのは意外にもシンプル広告だった

最も反響が良かった広告の一つは、非常にシンプルなものでした。
実際にヒットした広告
- 真っ白なA4用紙
- 筆文字で一言だけ
- 「携帯電話無料」
- 連絡先のみ掲載
これが逆に強烈に目立ったのです。
情報量ではなく、
「えっ?なにこれ?」
と思わせるインパクトが重要でした。
当時は、折込を入れる地域ごとにデザインを変えキャッチコピーも入れ替えて反響を分析していました。
現在のPPC広告でも本質は変わらない
PPC広告とはクリック課金型広告
PPC広告とは、
Pay Per Click(クリック課金型広告)
のことです。
Google広告やSNS広告など、クリックされるたびに費用が発生する広告モデルです。
現在はキーワードがオークション制
現在のPPC広告では、
- 人気キーワードほど高額
- 競争が激しい
- 広告単価が上昇
という特徴があります。
しかし逆に、
競合が気づいていないロングテールキーワード
を狙えば、低単価でも利益を出すことが可能です。
現代広告はLP設計が命
現在のネット広告は、
基本的な導線
- 広告クリック
- 自社LPへ誘導
- アフィリエイトLPへ送客
- 商品購入
という流れが一般的です。
つまり最初のLPは、
「次のLPへ送るための重要拠点」
なのです。
500万円超の負債から学んだこと
借金は固定ではなく金利で膨らむ
最終的な負債は500万円超プラス毎月の会社維持のための経費。
しかも借金は、期間とともに金利がかかります。
その後は、細々と携帯電話募集を続けながら返済する日々でした。
この経験から得た3つの教訓
① 人を信じても「行動」は信用するな
肩書きや会社規模ではなく、
- 契約
- 証拠
- 書面
これが重要です。
② 広告は水物であり絶対ではない
どれだけ反応が良くても、
- 災害
- 事件
- 社会情勢
一つで結果は一変します。
広告依存は危険です。
それ一発に頼るビジネスは、失敗すれば破綻する。
反響を得ることが出来なければやはり破綻です。
問題は、広告費が経営基盤の割合にどれほど影響を及ぼすか・・・です。
③ 一度あることは二度起きる可能性がある
だからこそ必要なのは、
経営に必要な考え方
- リスク分散
- 資金管理
- キャッシュ確保
- 広告依存回避
これらでした。
まとめ|広告の本質は時代が変わっても同じ
現在は、
- PPC広告
- SNS広告
- YouTube広告
- SEO
- アフィリエイト
など、広告手法は大きく変化しました。
しかし本質は変わりません。
広告で最も重要なのは「感情」と「耐久力」
広告で最も重要なのは、
広告の本質
- 人の感情を動かせるか
- 想定外に耐えられるか
この2つです。
広告は夢を見せてくれます。
しかし同時に、一瞬で資金を吹き飛ばす怖さも持っています。
だからこそ、冷静な判断とリスク管理が必要なのだと、私は身をもって学びました。


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