転職や仕事が長続きしない理由を知りたい方に向けて書く。
15歳で北海道から集団就職で上京し、飛び込み営業の世界に放り込まれた。
サンプルばかり飲んで途方に暮れた日もあった。しかし一人の奥さんとの出会いで火がつき、TOP3を脅かすまでになった。そして給料の不平等に納得できず、部長に直談判して辞めた。
これは16歳の営業マンの話だ。
集団就職——北海道からヤクルトに乗り込んだ15歳
昭和30〜40年代、集団就職は当たり前の光景だった。地方から若者が集まり、都市の会社に就職していく時代だ。ヤクルトも北見市まで従業員を探しに来ていた。知り合いの紹介で母親が話を聞き、私は品川ヤクルトへ向かうことになった。15歳の終わりか16歳の頃だった。
最初はヤクルトの積み出しや先輩の手伝いから始まった。しばらくして営業部の課長から声をかけられ、その課に配属された。自分から応募したわけではない。またしてもヘッドハンティングだった。
マイクロバスで見知らぬ街に降ろされる毎日
営業の仕事はこうだ。サンプルを50本ほど持ち、マイクロバスで決められた地域に降ろされる。迎えが来るまでひたすら飛び込み営業をする。全く知らない家に突然訪問するのだから、なかなか中に入れてもらえない。
断られ続け、サンプルばかり自分で飲んでいた。
翌日には成績発表がある。毎日がプレッシャーとの戦いだった。15〜16歳の少年には過酷な環境だったが、逃げるという選択肢は頭になかった。
自由が丘の奥さんに火をつけられた
転機は自由が丘の奥沢にあった販売店の奥さんとの出会いだった。
その方は品川ヤクルト営業所の中でもトップクラスの販売本数を誇る方で、とにかく明るかった。
聞けば暇さえあれば自分でサンプルを持って普及活動に出ているという。
そうやって地道に増やしてきた結果が今の成績だと言う。
これはすごいと思った。
営業のプロが自ら動いているのに、自分は何をやっているんだと火がついた。
それからだ。TOP1〜3位を脅かすようになったのは。
ナイターに連れて行かれた話
ある日営業から帰ってくると先輩が「今日はナイターだぞ」と言う。
野球のナイターか、すごいなと思っていたら「早くサンプル詰めろ」と言われた。
いつものバスが大鳥神社に停まる。ナイターは?
と聞くと「馬鹿、夜に営業するのがナイターって言うんだよ。残業代も出るのかよ」と笑われた。
夜の飛び込み営業
——それがヤクルトのナイターだった。今となっては笑える話だが、当時は本気でナイターゲームだと思っていた。
給料の不平等に部長へ直談判——そして退職
ある日、北海道から一緒に来た同僚と給料を見せ合った。
2歳上の同僚の給料が自分より多かった。成績は自分の方が上なのに、だ。
そのモヤモヤが何ヶ月も続いた。
ある日、部長に直談判した。
「営業って成績ですよね?成績がずっと良い私がなぜ成績の悪い彼より給料が低いんですか。納得いきません」
答えは納得のいくものではなかった。その日ヤクルトを辞めた。
15〜16歳で給料の不平等に正面から向き合い、筋を通して辞めた。
今振り返っても間違っていなかったと思っている。
締めくくり
仕事で納得いかないことがあったとき、あなたはどうするだろうか。黙って我慢するか、声を上げるか。
16歳の私は声を上げて辞めた。それが正解だったかどうかはわからない。しかし自分の気持ちに正直に動いたことは、その後の17社・3起業の人生の土台になっていると思っている。


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